今日も朝のつじ立ちと演説を行いました。
今日は、1月5日。
神流町では、今日から仕事初めの方も多いようで、昨日よりも朝の車の通行量が多くなりました。
ところで、私が東京での仕事を辞めて、神流町に戻ってきた理由、それは「神流町をもっと住みやすく、神流町自体をもっと活気のある町にする」ためです。
そのために、私は仕事を辞めて神流町に戻ってきました。
神流町の現在の人口は、約2,000人。
1990年には、旧万場町と旧中里村の人口を合わせて4,159人いました。
(神流町は、2003年に旧万場町と旧中里村が合併してできた町であるため、旧万場町と旧中里村の人口を合計して算出しています。)
26年間で人口が2,000人以上減少しています。
人口が数十万人の自治体であれば、2,000人減ったとしてもあまり街並みは変わらないかもしれません。
しかし、4,000人の町が2,000人になるというのは、人口が「半分」になってしまったということなので、その影響はかなり大きいです。
私が中学生のころ、子ども達が遊ぶときは、自転車で移動するのが当たり前でした。
それが今では、子ども自体の数が減少し、子ども達が自転車で移動する姿を見かけることはほとんど無くなりました。(私が神流町に戻って来て2か月が経過しましたが、自転車に乗る子供を見たのは3回のみです。)
神流町では、「人口減少」が合併前からずっと問題になっていました。
国の言う「出生率低下」による「人口減少」ではなく、神流町の場合、「人口流出」による「人口減少」が重要な問題です。
このままいけば、確実に20年前後で神流町は無くなるでしょう。
この「人口減少」という状況を打開するために、神流町は「大きな変化」をすることが私は必要だと思っています。
ここまでの私の記述は「正論」のように見えると思います。
でも、「大きな変化」を起こすということは、「総論」では「賛成」であっても「各論」では「反対」に合うものです。
ようするに、「自分に関係ないことは賛成だけど、自分の身の回りが変わることは反対だ」という意見が出てきます。
「正しい」ことをやろうとしても、「賛成」してもらえるとは限らないのです。
「個別最適」を求める人が、「全体最適」に反対するのです。
これは神流町だけでなく、どんな自治体でも、企業でも、ちょっとした集団であっても、必ず起こることでしょう。
人間というものは「変化」に対して「恐怖」を感じやすいと思うので、「反対意見」が出るのは当たり前だと私は思っています。
ただ、私は、「反対意見」があったとしても、そこであきらめません。「反対意見」の人でも、話し合えば、お互いに妥協点がみいだせ、よりよい解決策につながる可能性があります。
私が東京で聞いた「政治とは『合意形成』である」という言葉。「合意形成」を行うことは難しいことですが、しぶとく話し合いを行って、「合意」できるように取り組みたいと思います。
「頑固」だけが私の取柄なので。