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中学校卒業式と3月定例議会3日目。


1.本日の活動
今日の神流町は、終日曇りでした。

最低気温は2.3度で高めでしたが、最高気温は7.9度までしか上がらず、寒くなりました。

今日は午前中に、地元中学校の卒業式に「来賓」として参加し、午後から定例議会でした。

2.中学校卒業式
今日は、神流町にある唯一の中学校「中里中学校」の卒業式でした。

今年、卒業した生徒は「6名」。

私のときには、同級生が「35名」いたので、子どもの数が少なくなっていることを実感しました。

生徒数が少ないながらも、中学校生徒たちは、一人一人元気に返事をしていたり、合唱では元気な歌声が聞こえてきたりととても「力強さ」を感じさせられました。

少人数の学校だからこそ、「団結力」が強くなり、今日のような元気な卒業式ができるのだろうと思いながら式を見ていました。

私は、一応「町会議員」なので、今日は「来賓」として参加させていただきました。

式に参加し、校長先生や来賓の方々の挨拶を聞き、「素晴らしいことをおっしゃっているな」と思いましたが、自分自身の中学卒業時の来賓挨拶がまったく思い出せないので、おそらく今日の生徒達も心に残っている人は少ないでしょう。

それでも、生徒が卒業式に参加して、仲間と一緒に卒業式という「場」「時間」を共有することが大事なのだと私は思っています。

今日卒業した生徒は、平成13年・14年生まれの子たち。私が大学4年生のときに生まれた子ども達です。

時間の経過は早いものだとつくづく感じました。


会社員時代は恵まれていました。


1.本日の活動
今日の神流町は、晴れ、時々、曇りでした。

最低気温はマイナス2度、最高気温は8.4度でした。

今日は、「挨拶周り」と「選挙活動収支報告書」作成を行っていました。

「選挙活動収支報告書」には、領収書を添付しなければいけないので、領収書の整理が面倒です。

2.会社員時代を振り返って
今日「選挙活動収支報告書」に添付する領収書をスキャンしていたところ、家庭用のスキャナなので、スキャンのスピードがすごく遅く感じました。

スキャナだけではありません。

家で資料を印刷すると、家庭用のプリンタであるため、両面印刷が出来なかったり、インクがすぐになくなったり、印刷スピードが遅かったりとかなりプリンタの能力自体が低いです。

こうやって自宅で作業をしてみると、会社員時代にいかに環境が恵まれていたかが分かります。

私が勤めていた職場では、印刷枚数の制限は特になく、印刷は何枚行ってもかまいませんでした。印刷ミスがあっても、特におとがめなし。時には、印刷ミスをして、大量に紙を処分することもありました。そして、1枚あたり、どれくらいのコストがかかっているのか、気にしたこともありませんでした。プリンタのトナーがなくなったら、交換用のトナーが常に職場に準備してあって、すぐに交換できました。トナーにいくらかかっているか、調べたこともありません。

職場で使用していたプリンタは、自動でホチキス止めをし、パンチで穴もあけてくれました。両面印刷ももちろん可能です。印刷速度もかなり早いものでした。家庭用プリンタと比較になりません。プリンタには、スキャナ機能もついていて、複数枚の資料を、簡単に即時にスキャンすることができました。

このように書いてみて、ようやく「会社員の頃は恵まれていた」ということが分かります。

会社を辞めた今では、プリンタのインク代、紙代、全て自腹です。インク、紙は、自分で買ってこなければいけません。大量の枚数を印刷する場合、いかに安く済ませるか、ネットでいろんな業者を調べます。会社員時代には、まったく気にしなかったことです。

自分のお金を使ってみないと、ありがたみが分からないものだということがよく分かりました。

これも会社員を辞めた「効用」だと考えるようにしています。


宿題をやっていませんでした。


今日から「朝のつじ立ち」を再開しました。演説もいつも通り行いました。

今日の朝は、とても寒くなり、立っているのがつらかったです。

今日の朝は、昨日の雪の影響で、神流町の道路の路面は凍結していて、通勤で通行する方々は、皆さんゆっくりと注意しながら運転していました。路面凍結時は、本当に危険なので、あなどってはいけません。

今日から神流町の小・中学校では、3学期が始まったため、朝にスクールバスで通学する子供達の姿が見れました。

私が子供のときは、冬休み・夏休みといった長い休みが好きでしたが、長い休みが終わって新学期の始まりのときに学校に向かうのが苦痛でした。なぜなら、宿題をやっていなかったからです。子供のときの私は、「宿題をやらなくてはいけない」と分かっていながらも、宿題をやりませんでした。いつも、新学期が始まったときに、全部の宿題を期限通りに提出できたことはほとんどなかったと思います。ダメな子供でした。

今日の子供達の通学する姿を見ながら、そんなことを思い出しました。果たして、神流町の子供達はしっかりと宿題をやったのでしょうか?

子供のときには「宿題をやる」ということの重要性を認識していませんでした。大人になってみて、「宿題をやる=期限を守って、自分に与えられた課題をこなす」ということだと分かり、「期限通りにやらなければ、信頼を失う」ということを身をもって感じました。宿題を行って、「勉強ができるようになるかどうか」よりも、「宿題を行う」という行動自体が重要であり、「行動を継続できるようにならなければいけない、自分に課された課題に取り組まなければ信頼を失う」ことを学ばせたかったんだなと、今更ながら私は感じています。

子供のころを振り返り、「こういう意味だったんだな」と今になって意味が分かることがあります。

今日はそんなことを考えました。