誰かが「行動」を見てくれているもの。


1.本日の活動
今日も「朝のつじ立ち」と「演説」を行いました。

演説は、初めて「森戸(もりど)」地区で行ったのですが、聴衆は全くいませんでした。

今日は、「神ヶ原(かがはら)」地区と「魚尾(よのお)」地区に挨拶周りにも行ってきました。

「魚尾」地区は、神流町の中でも最も家の数の多い地区なので、今日一日でかなり歩きました。正直、疲れたです。

2.今日感じたこと
2.1 朝のつじ立ちに対して
今日、「魚尾」地区で挨拶周りをしていたときに、「朝に、立っている人だよね」と言ってくれる方がいました。

私は、「自分には、それくらいしかできないので。たいしたことはやっていませんよ。」と返答したところ、「朝立つだけであっても、その行動を続けている姿を見るだけで『信頼出来る人』だと感じさせてくれる。とてもいい行動だと思う」と言ってくれました。

私が行っていることは、朝、道路わきに立ち、行きかう車に挨拶をしているだけです。私としては、少しでも神流町の方々に挨拶したい、そういう思いから始めた活動でした。

それを見ていた方がいて、一見すると「馬鹿」に見えるような活動であっても、その活動から「信頼」を感じてくれる人がいることが分かりました。

活動すれば、必ず誰かが見ていてくれるものですね。

 

2.2 私が神流町に戻ったことに対して
また、同じ「魚尾」地区では、「神流町に戻ってきてくれて、ありがたい」という言葉もいただけました。

私としては、東京で勤めた会社を辞めて「神流町に戻る」ということは、「自分のやりたかったこと」「自分にとってやるべきこと」をやったまででした。それでも、「神流町に戻る」という行動を起こしただけで、感謝してくれる人がいました。

神流町は、超高齢化の町で、35~39歳の年齢の人は全体の3%弱しかいません。(2015年の国勢調査より)

そのため、30代の人が町に戻ってくるだけで「ありがたい」と感謝されます。

私は、神流町に戻ってきて、まだ町のために何かしたわけではありませんが、こうして感謝していただけると戻ってきて意味があったことを少し感じます。私の「神流町に戻る」という行動を評価してくれる人がいるのです。

3.それでも...
と、今日は「良いこと」があったのですが、私は神流町に戻ってきただけで、神流町のために何か行動したわけではありません。私の行動・活動を見てくれる人たちのためにも、神流町に恩返しできるよう、しっかりと行動していこうとあらためて思いました。