「共助」の重要性。


昨晩の雪の影響で、今日の朝は、「雪かき」から始まりました。

積もった雪の量は、10センチ程度だったので、まだ少ない方でした。

「雪かき」から1日が始まり、「つじ立ち」を行う時間も「雪かき」をしていました。そのため、今日の朝は、「つじ立ち」をしませんでした。(演説は、まだ続けています。)

「つじ立ち」の連続実施は途絶えてしまいましたが、また明日から再開しようと思います。

 

今日、「雪かき」を行う中で、「『共助』の重要性」を感じました。

神流町は、人口が少なく、高齢化率が高い(人口に占める高齢者の割合が高い)町です。

そのため、昨晩のような雪が降ると、ご老人のみの家の雪は、住んでいる人だけで雪かきをすることが難しいです。そこで、神流町の中でも比較的年齢の若い動ける人間が、自分の家だけでなく、周辺の雪かきも行います。特に頼まれたわけでもなく、それが「当たり前」となっています。

田舎では、このような地域で互いに助け合う「共助」が当たり前となっています。

「雪かき」だけではありません。お葬式など冠婚葬祭のとき、消防団、お祭りなども地域で手伝い合いながら実施しています。

「助け合う」ことが「当たり前」であり、それが「ルール」となっています。その「ルール」は、特に文章化されたものではなく、長い年月をかけて自然に決められてきたものです。

ただ、私が中学生のころは、今ほど高齢化が進んでおらず、もう少し動ける人間が町にいたため、今日のような「雪かき」を家から遠いところまで行う必要はありませんでした。

現在の神流町では、人口減少と高齢化が進んだため、昔よりも一人当たりが実施する「雪かき」の範囲が昔よりも広くなりました。一人当たりの負担が増えたのです。

一人当たりの負担は増えていますが、地域のつながりが密接な「共助」の生活が、私には楽しく思えています。

東京で生活していたときにも、雪が降るときがありました。東京で雪が降る機会は、少ないのですが、雪が降る状況に慣れていない人が多いため、ひとたび雪が降ると混乱します。そして、昔から東京に住み続けている人は雪かきを行っていましたが、私や他から引っ越してきた人が雪かきをする姿はほぼ見られませんでした。東京では「共助」の意識が低いのです。東京では、「インフラが整っている」「行政サービス(公助)も充実している」ことから、「共助」の必要性が低いのかもしれません。もしくは、「自分自身のチカラ(自助)だけで大丈夫」という自信のある人が多いのかもしれません。

また、東京で生活していたときに聞いた言葉は、「田舎だと地域での付き合いが多く、面倒。東京なら近所付き合いが少なく、面倒でない」ということです。人それぞれ考え方の違いがあるので、そのような考え方の人がいても否定することはできません。ただ、私が思うのは、「人間、自分のチカラだけで生きていこうとするのは難しい」ということです。皆、誰かに助けられて生きていると思います。地域とは限りませんが、何かしらのコミュニティに属し、助け合って生活していると思います。

「近所付き合いが面倒」という人は、年齢を重ねたときに、どうするのだろう?と私は思います。今は、若くて自分で出来ることが多く、地域の人にお世話になることが少ないかもしれませんが、年齢を重ねたとき、自分で出来ることが徐々に少なくなってきます。そのとき、お世話になるのは、親族だけで大丈夫なのでしょうか?私は、そこを疑問に思います。

そこで私は、都市部の人にも「『共助』の大切さ」をあらためて考えてほしいと思っています。

 

という偉そうなことを書きましたが、今日は久しぶりに行った「雪かき」の影響で、私は腰が張ってしまいました。明日は、腰の筋肉痛に悩まされそうです。明日の朝が心配になりました。