地域での生活」カテゴリーアーカイブ

久しぶりにノコギリ、金づちを使用。


今日の神流町は、終日晴れました。

最低気温は0.9度、最高気温は11度となりました。

今日は、両親の手伝いをしていました。

我が家の畑に、落ち葉を入れるための「箱」を作っていました。落ち葉を箱に入れて、腐らせた後に、肥料として畑にまく予定です。

箱を作るため、久しぶりに「ノコギリ」「金づち」を使って作業を行いました。「ノコギリ」「金づち」の利用は、中学生の技術科の授業依頼だと思います。22年ぶりくらいでしょうか。

「ノコギリ」や「金づち」を使った作業ができるのも、田舎暮らしの良いところでしょう。


花粉症から林業政策を考える。


今日も神流町は、終日晴れました。

最低気温は0.9度、最高気温は16.8度まで上がり、非常に暖かくなりました。

今日は天気が良かったため、花粉の量も多かったようです。

花粉症(杉花粉)の私は、今日は外出を控え、家の中にいました。

私が花粉症になったのは、大学生のころです。それまで花粉を気にしたことはありませんでした。

杉がたくさんある神流町においても、花粉に強い人が多いというわけではありません。

神流町でも花粉症の人はいます。

都会の方が、車の排気ガス等の影響で「花粉症になりやすい」ということを言う人もいるようですが、どこに住んでいても、花粉症にならないようにするのは難しいようです。

とはいえ、日本でここまで杉が多くなったのは、過去の政策の失敗であることは明白です。

高度成長以前に、日本では住宅供給が増え、木材の需要が多くなったことから、日本の山のあちこちの木が切られました。そして、当時は「今後も継続して日本産の木材の需要は高まる」と考え、日本の山には「杉の木」が植えられました。しかし、木というものは、木材として出せるくらい成長するには、数十年の時間が必要です。植えた杉が成長する前の間に、日本国内には輸入木材が普及し、国内産の材木は輸入木材に比べて値段が高いため、国内産はさっぱり売れなくなりました。そのような結果、日本の山に植えられた杉は、切られることもなくなりました。

こうした「杉」への対応は、日本政府に責任があると私は思っています。このような状況を打開するためには、林業に対して国が保護をしながら育成していくことが必要だと考えます。このようなことを書くと「社会主義者」だと言われるかもしれませんが、林業の所得は低いことから担い手が不足しているため、国が所得を補償して対応すべきだと私は思っています。

かつて、日本では稲作を守るために「価格保証」を行っていました。林業に対しても、そのような「価格保証」等の施策を行って、日本の林業を保護するべきだと思います。

私のような考えは、ごく少数だと思いますが、日本の環境を守るためには林業の保護が必要ではないでしょうか。


「明治館祭り」に参加。


今日も神流町は、終日晴れました。

最低気温は、マイナス1.4度、最高気温は15.3度となりました。

今日も、私が高校3年間を過ごした富岡市に行ってきました。

今日は、「明治館祭り」というイベントの手伝いです。

「明治館」は、富岡製糸場のすぐ近くにある古い建物を改修して、常設の紙芝居場となっている建物です。

※明治館に関する詳細は、こちらを参照

今日の「明治館祭り」は、明治館の入場料が終日無料で、「富岡製糸場」にちなんだ紙芝居だけでなく、そのほかにもいろいろなイベントが行われていました。

群馬県が誇るゆるキャラ「ぐんまちゃん」も応援に駆けつけていました。

明治館で行われている「紙芝居」は、紙の裏に書いてあるセリフを読むだけのものではありません。話し手の人がセリフを暗記していて、しっかりと感情を込めて物語を伝えてくれます。そして、明治館で行われている「赤れんが物語」という紙芝居は、富岡製糸場の成り立ちに関するものです。今日、私は、初めて「赤れんが物語」を見ましたが、とても勉強になりました。群馬県民の方は、「富岡製糸場」自体を知っている人はいても、「設立経緯」までを知る人は少ないです。「赤れんが物語」を見ると、「設立経緯」がとてもよく分かります。

「赤れんが物語」のように「地域の歴史」について記録を残し、語り継いでいくことは、「地域おこし」を行う上でとても重要なことだと私は思っています。単なる「箱もの」を作るだけでは意味がありません。「箱もの」を作るうえでの背景、関わった人々の思いなど、それを作るうえでの「意味」を文字に残して語り継いでいく。そのような「語り継ぐ」ことができなければ、地域に対する愛着もわかず、人が定着することは無いと私は思います。

今日のイベントに参加して、あらためて「地域の歴史」の重要さを学びました。


初めての「耕耘機」。


1.本日の活動
今日も神流町は、終日晴れて、暖かくなりました。

最低気温はマイナス3.3度、最高気温は12.2度となりました。

今日は、午前中に「一般質問」の検討を行い、午後は、両親が管理している畑の手伝いをしました。

2.耕耘機について
今日、畑仕事を手伝う中で、生まれて初めて「耕耘機(こううんき)」を運転しました。

「耕耘機」とは、畑を耕す機械です。トラクターは大きく平らな畑を耕す際に使用するのですが、耕耘機はトラクターの入らないような小さな畑を耕す際に使用します。

耕耘機については、以下のHONDAのサイトに分かりやすく記載してあります。
http://www.honda.co.jp/tiller/

神流町は、山間の町であり、急峻な地形であることから、平らで大規模な畑はほとんどありません。小規模な畑が多いことから、耕耘機を持っている方が多く見られます。

私は、今日初めて耕耘機を運転しました。

見ていると簡単そうなのですが、実際に使ってみると難しかったです。うまくコントロールするには、「コツ」が必要で、父に教わりながら運転しました。

畑でも、場所によって土質が異なり土の固さも異なるため、耕耘機を運転しながら土質の違いを感じることができました。

私が子供のときには、まったく畑仕事を手伝ったことが無かったので、大人になってから初めて経験することになりました。

神流町では、大規模な畑が無いので、「農家」を行っている家庭は少ないのですが、「趣味」で畑をしている家庭は多くあります。私も、神流町に戻ってきたからには、少しずつ畑仕事を覚えていきたいと思います。


黒田地区のお祭りの参加。


1.本日の活動
今日の神流町は、終日晴れたのですが、風が強く吹きました。

最低気温は0.7度、最高気温は7.7度と少し高めの気温だったのですが、風の影響で寒く感じました。

風がやんだよきにはポカポカと感じたのですが、風が吹いたとたんに、季節がガラッと変わってしまう感じです。

そんな中、今日も「朝のつじ立ち」と「演説」を行いました。

「演説」は1回です。

2.黒田地区のお祭りに参加
今日は、私の住む神流町・黒田(くろだ)地区のお祭りに参加しました。

黒田地区には、「城山」という昔に山城があった山があり、そこに稲荷神社があります。

今日のお祭りは、その稲荷神社をたたえるお祭りなのでした。

私が子供のときには、城山の稲荷神社でお祭りを行っていたのですが、現在は稲荷神社まで行かずに集会所で行っています。

豚汁や飲み物がふるまわれ、黒田地区の方々がこぞって参加していました。

こういう地域の「伝統文化」は、そこに住む人がいて始めて続けることができます。

東京で生活していたときには、地域の行事に参加することがなかったので、今日のお祭りに参加して「伝統文化の存在」を実感しました。


「共助」の重要性。


昨晩の雪の影響で、今日の朝は、「雪かき」から始まりました。

積もった雪の量は、10センチ程度だったので、まだ少ない方でした。

「雪かき」から1日が始まり、「つじ立ち」を行う時間も「雪かき」をしていました。そのため、今日の朝は、「つじ立ち」をしませんでした。(演説は、まだ続けています。)

「つじ立ち」の連続実施は途絶えてしまいましたが、また明日から再開しようと思います。

 

今日、「雪かき」を行う中で、「『共助』の重要性」を感じました。

神流町は、人口が少なく、高齢化率が高い(人口に占める高齢者の割合が高い)町です。

そのため、昨晩のような雪が降ると、ご老人のみの家の雪は、住んでいる人だけで雪かきをすることが難しいです。そこで、神流町の中でも比較的年齢の若い動ける人間が、自分の家だけでなく、周辺の雪かきも行います。特に頼まれたわけでもなく、それが「当たり前」となっています。

田舎では、このような地域で互いに助け合う「共助」が当たり前となっています。

「雪かき」だけではありません。お葬式など冠婚葬祭のとき、消防団、お祭りなども地域で手伝い合いながら実施しています。

「助け合う」ことが「当たり前」であり、それが「ルール」となっています。その「ルール」は、特に文章化されたものではなく、長い年月をかけて自然に決められてきたものです。

ただ、私が中学生のころは、今ほど高齢化が進んでおらず、もう少し動ける人間が町にいたため、今日のような「雪かき」を家から遠いところまで行う必要はありませんでした。

現在の神流町では、人口減少と高齢化が進んだため、昔よりも一人当たりが実施する「雪かき」の範囲が昔よりも広くなりました。一人当たりの負担が増えたのです。

一人当たりの負担は増えていますが、地域のつながりが密接な「共助」の生活が、私には楽しく思えています。

東京で生活していたときにも、雪が降るときがありました。東京で雪が降る機会は、少ないのですが、雪が降る状況に慣れていない人が多いため、ひとたび雪が降ると混乱します。そして、昔から東京に住み続けている人は雪かきを行っていましたが、私や他から引っ越してきた人が雪かきをする姿はほぼ見られませんでした。東京では「共助」の意識が低いのです。東京では、「インフラが整っている」「行政サービス(公助)も充実している」ことから、「共助」の必要性が低いのかもしれません。もしくは、「自分自身のチカラ(自助)だけで大丈夫」という自信のある人が多いのかもしれません。

また、東京で生活していたときに聞いた言葉は、「田舎だと地域での付き合いが多く、面倒。東京なら近所付き合いが少なく、面倒でない」ということです。人それぞれ考え方の違いがあるので、そのような考え方の人がいても否定することはできません。ただ、私が思うのは、「人間、自分のチカラだけで生きていこうとするのは難しい」ということです。皆、誰かに助けられて生きていると思います。地域とは限りませんが、何かしらのコミュニティに属し、助け合って生活していると思います。

「近所付き合いが面倒」という人は、年齢を重ねたときに、どうするのだろう?と私は思います。今は、若くて自分で出来ることが多く、地域の人にお世話になることが少ないかもしれませんが、年齢を重ねたとき、自分で出来ることが徐々に少なくなってきます。そのとき、お世話になるのは、親族だけで大丈夫なのでしょうか?私は、そこを疑問に思います。

そこで私は、都市部の人にも「『共助』の大切さ」をあらためて考えてほしいと思っています。

 

という偉そうなことを書きましたが、今日は久しぶりに行った「雪かき」の影響で、私は腰が張ってしまいました。明日は、腰の筋肉痛に悩まされそうです。明日の朝が心配になりました。