神流町の町政について」カテゴリーアーカイブ

告示まであと2週間。


1.本日の活動
今日も神流町は、寒くなりました。

最低気温はマイナス5.3度、最高気温は8.2度でした。

「朝のつじ立ち」「演説」ともにいつも通り行いました。

朝、陽のあたる時間が、徐々に早くなってきたので、暖かくなり始める時間も早くなってきたような気がします。

今日の「演説」は、「魚尾(よのお)」地区で3回、「平原(へばら)」地区で2回、「黒田(くろだ)」地区で1回の計6回行いました。「魚尾」地区は、(神流町の中でも)広い地区なので、全体に演説を伝えるためには複数回に分けないといけません。そのため、今日「魚尾」地区で3回に分けて行いました。

今日は、「平原」地区、「魚尾」地区で聴衆がいてくれたので、とても充実した演説ができたと思います。やっぱり聴衆がいると、演説へのやる気が違ってきます。

2.告示まであと2週間
神流町町会議員選挙の告示(2月14日)まで、あと2週間となりました。

現時点での立候補予定者は、「9名」とのことです。(定数は「8名」です。)


地域内を自分で動かなければ分からないもの。


1.本日の活動
今日の神流町は、また寒さが戻ってしまいました。

最低気温はマイナス4.4度になり、「朝のつじ立ち」(朝7時30分~8時30分)の際は、とても寒く凍ってしまうかと思いました。そのため、スクワットを少し多めに行い、体を温めながら過ごしました。運動って大事ですね。

そして、「演説」もいつものように続けました。

今日の挨拶周りは、「生利(しょうり)」地区に行ってきました。「生利」地区においても、地区の皆さまからとても暖かいお言葉をいただき、励みになりました。

行く先々で、「頑張っているみたいだね!」という声をいただき、私の「朝のつじ立ち」や「演説」のことが噂となって伝わっているとのことでした。何事も続けていれば、ジワジワと効果が出てくるものですね。

2.地域内を動かなければ分からないこと
今日、「生利」地区をまわっていて驚いたことが、道路に雪が残っていて車の通れないところが残っていることでした。「生利」地区は、決して標高の高い地区ではないので、雪の問題はないと思っていたのですが、場所によっては、山に隠れてしまって日照時間が短く、なかなか雪の溶けないところがあるのです。

このような問題を、恥ずかしながら、私は今日まで知りませんでした。今日現場に行ってみて、初めて知りました。こういう問題について、住んでいる人の負担が減るように、何らかの対応策を検討したいと思います。

今日あらためて実感したことは、「地域内を動かなければ、問題に気づくことができない」ということです。地方自治体の議員というと、自治体の中でも特定の地区の指示を得る「地域代表」として議員になる方もいます。かつての神流町もそのように各地域ごとに議員を出していました。

しかし、現在の神流町では、神流町の人口自体が減ってしまい、各地域ごとに議員を出せるほどの人材も人員もいない状態になっているため、議員になるからには「特定の地域の問題」だけに注力するのではなく、「神流町全体の問題」に取り組まなければいけません。(人材が豊富な自治体であれば、地区ごとに代表者を形式で議員を決めてもいいと思いますが、神流町のように過疎で人口が減っている自治体は、特定の地域に特化するのではなく、町全体を考える必要があります。)

「神流町全体の問題」に取り組むためには、神流町町内をすみずみまで訪れて、自分の目で見て確かめることが必要です。私は、ただ上がってくる報告を、そのまま対応するのではなく、できるだけ自分で現場を訪れて、自分の目で見て、自分で考えて対応策を考えたいと思っています。

長く住んでいればその地域の問題を把握できるというものではありません。自分に入ってくる情報というものは、自分が動かなければ情報の内容が「自分が住むところの近くの情報」に偏ってしまいます。地域内の様々な情報を取り入れるためには、自分で様々な現場を訪れて、自分で見て確かめることを心がけなければ、地域の様々な情報・問題を把握できないと私は思っています。

今日、挨拶周りを行っている中で、「自分で様々な現場を訪れて、見る」ということの重要性をあらためて実感しました。この思いを、決して忘れずに今後も取り組んでいきたいと思います。

 


神流町町会議員選挙立候補予定者説明会


1.本日の活動
今日も朝は寒くなりましたが、「朝のつじ立ち」と「演説」は継続して行いました。

今日は、「魚尾(よのお)」「伝田郷(でんだごう)」「高八木(こうやぎ)」「青梨(あおなし)」地区に挨拶に伺いました。

どこの地区の方々も、とても好意的に挨拶をしていただけました。

とてもありがたいことです。

2.立候補予定者説明会
今日は、2月に実施される神流町町会議員選挙(2月14日告示、19日投開票、定数8名)の「立候補予定者説明会」が開催されました。

参加したのは、「8陣営」。

この「立候補予定者説明会」は、「参加必須」ではなく、あくまでも「任意」です。

説明会に参加せず、資料だけを受け取り、告示に届出することも可能です。

以上です。

 


何かを変えるのは難しいもの。


今日も朝のつじ立ちと演説を行いました。

今日は、1月5日。

神流町では、今日から仕事初めの方も多いようで、昨日よりも朝の車の通行量が多くなりました。

 

ところで、私が東京での仕事を辞めて、神流町に戻ってきた理由、それは「神流町をもっと住みやすく、神流町自体をもっと活気のある町にする」ためです。

そのために、私は仕事を辞めて神流町に戻ってきました。

神流町の現在の人口は、約2,000人。

1990年には、旧万場町と旧中里村の人口を合わせて4,159人いました。
(神流町は、2003年に旧万場町と旧中里村が合併してできた町であるため、旧万場町と旧中里村の人口を合計して算出しています。)

26年間で人口が2,000人以上減少しています。

人口が数十万人の自治体であれば、2,000人減ったとしてもあまり街並みは変わらないかもしれません。

しかし、4,000人の町が2,000人になるというのは、人口が「半分」になってしまったということなので、その影響はかなり大きいです。

私が中学生のころ、子ども達が遊ぶときは、自転車で移動するのが当たり前でした。

それが今では、子ども自体の数が減少し、子ども達が自転車で移動する姿を見かけることはほとんど無くなりました。(私が神流町に戻って来て2か月が経過しましたが、自転車に乗る子供を見たのは3回のみです。)

神流町では、「人口減少」が合併前からずっと問題になっていました。

国の言う「出生率低下」による「人口減少」ではなく、神流町の場合、「人口流出」による「人口減少」が重要な問題です。

このままいけば、確実に20年前後で神流町は無くなるでしょう。

この「人口減少」という状況を打開するために、神流町は「大きな変化」をすることが私は必要だと思っています。

ここまでの私の記述は「正論」のように見えると思います。

でも、「大きな変化」を起こすということは、「総論」では「賛成」であっても「各論」では「反対」に合うものです。

ようするに、「自分に関係ないことは賛成だけど、自分の身の回りが変わることは反対だ」という意見が出てきます。

「正しい」ことをやろうとしても、「賛成」してもらえるとは限らないのです。

「個別最適」を求める人が、「全体最適」に反対するのです。

これは神流町だけでなく、どんな自治体でも、企業でも、ちょっとした集団であっても、必ず起こることでしょう。

人間というものは「変化」に対して「恐怖」を感じやすいと思うので、「反対意見」が出るのは当たり前だと私は思っています。

ただ、私は、「反対意見」があったとしても、そこであきらめません。「反対意見」の人でも、話し合えば、お互いに妥協点がみいだせ、よりよい解決策につながる可能性があります。

私が東京で聞いた「政治とは『合意形成』である」という言葉。「合意形成」を行うことは難しいことですが、しぶとく話し合いを行って、「合意」できるように取り組みたいと思います。

「頑固」だけが私の取柄なので。

 


神流町の子供達の未来を考えたい


今日も朝のつじ立ちと各地での演説を行いました。

今日も演説の聴衆は少なかったのですが、聞いていただいた人から拍手をいただけたことは、かなり気分が良かったです。

ところで、超高齢化の神流町では、高齢者に会うことは頻繁にあったとしても、子ども達は人数自体が少ないため会う機会が少ないです。

今日は、挨拶周りに伺った際、小学生くらいのお子さんを見かけることができたので、運が良かったです。

神流町の小学生の人数は、6学年合わせて「35人」、1学年あたり多くても7人という状況です。
※神流町立万場小学校のHPは、こちら
http://www.kannamachi.jp/~manbasho/gaiyou/gaiyou.htm

私が小学生のときは、一学年だけでも36人いましたが、この20年の間にとても少なくなってしまいました。

だから、私は神流町にとって子供は「宝」だと思っています。

子供の人数が少ないからといって、子育て世代の意見を軽んじるわけにはいきません。

子供達の未来は、そのまま神流町の未来につながっていきます。

子供達のために、どのように神流町を変えていけばいいか、考えたいと思いますが、私が経験した子供の頃の神流町の記憶と、現在の子供達が置かれている神流町の状況は大きく異なっています。

きっと子供達の授業の状況、遊び方も私が経験したことと違っていると思います。

教育については、科学的なデータが少なく、自分達の経験で物事を語り勝ちですが、時代によって環境も異なるので経験だけで判断してはいけないと私は思っています。

そのため、子供向けの政策に関しては、私の考えを中心にするのではなく、あくまでも保護者や教育者、地域の方々、そして子供達自身の声を聴いて考えていきたいと思っています。

票につながるかどうかは、まったく関係なく、「子供達を大事にしたい」、今日はそんなことを考えながら活動していました。


神流町定例議会の傍聴


今日は、挨拶周りの前に、神流町の12月定例議会の傍聴にも行ってきました。

今日は、初めて「一般質問」を直に見させていただきました。

「一般質問」のやり取りを見ていて、とても面白いと思いましたが、議員からの突っ込みに甘いところがあったので、「そんな回答で納得していいの?」と思うところが何回もありました。

特に、質問に対する町長の回答で「一生懸命努力する」という抽象的な表現を使っているところには、「具体的にどうするか示さなくていいの?」と、私はかなり疑問に持ちました。

神流町の町議会は、町のケーブルテレビで後日放送されます。ケーブルテレビでの放送により町民に見られてしまうことから、議会での突っ込んだ議論を回避しているようです。

議会は「儀式」のような場であって、実際の議論は、議会の前段の「委員会」で行われています。ただ、「委員会」でのやり取りが、住民に開示されていません。

私は、そのような状況がおかしいと思い、「委員会」のやり取りを住民に開示し、議会の場でも「もっと深い議論」を行うように変えていくべきだと思っています。

小池都知事がよくおっしゃっていますが、「プロセスの透明化」というのは、東京都だけでなく、どこの地域でも必要なことです。


今日の活動報告


今日は、神ヶ原(かがはら)、魚尾(よのお)地区に挨拶周りをさせていただきました。

神流町は、平成15年に旧万場町(まんばまち)と旧中里村(なかざとむら)が合併してできた町です。

合併してから13年が経過していますが、いまだに「万場の人」「中里の人」という言葉が町民の間で使われることがあります。

また、現実として同じ町でありながら、「旧万場町の地区の人」と「旧中里村の地区の人」の交流が少ないということもあります。

このような「旧町・旧村意識」というものから、神流町が「ひとつの町」になりきれていないと、私は感じさせられます。

「旧町・旧村意識」は、「地域の文化・伝統を残すため」という意味で残っているのは良いと思うのですが、「私は万場の人だから中里のイベントに参加する必要はない」とか、町全体の協力関係の障害物として存在することは問題だと思っています。

(障害物としての)「旧町・旧村意識」を失くして、「ひとつの神流町」を作ることが私の目標です。

ここ数日の挨拶周りで、改めて「旧町・旧村意識」が存在することを実感しました。


臨時町議会の傍聴


今日は、臨時町議会が開かれたので、傍聴してきました。

議題は、「補正予算」についてです。

補正予算の中の支出項目に、「町による古民家を活用した民泊事業」というものがあり、私の意見としては「町が宿泊事業を行ってしまうと、民間の宿泊業者の営業を阻害してしまうのでやらない方がいい」と思うのですが、傍聴者は意見を述べることができないため、静かに見学していました。

現在の神流町は、何かにつけて「国の補助金」を頼りにしています。

今回の「古民家を活用した民泊事業」についても、国からの補助金を頼りにした事業です。

私としては、(国や県の補助事業は、地域のニーズと乖離したものが多いため)「国や県に頼らず自立した町」になってほしいのですが、残念ながら現状はほど遠い状況です。

今日の議会を傍聴して、あらためて「神流町は、国や県の補助金だより」ということが分かりました。

私は、今の「補助金だより」の神流町の状況を変えていきたいと思っています。

そのために、神流町に戻ってきたので、少しずつ活動しながら変えていこうと思います。