投稿者「さいとう 誠」のアーカイブ

さいとう 誠 について

群馬県神流町在住。 群馬県神流町(旧万場町)で生まれ、高校~社会人までは、他の地域で生活をしていたが、神流町に貢献するために会社を退職しUターン。 現在は、神流町にて様々な活動を実施。

「議会だより」の原稿作成。


今日も神流町は、寒くなり、終日曇っていました。

昨晩、雪が降ったようで、朝起きた時には雪が見られました。

最低気温は0.4度、最高気温は6度となりました。

今日は、「町政報告会」の準備と「議会だより」の原稿作成をしていました。

神流町では、「広報かんな」という神流町役場で発行している広報誌があり、その中の企画に「議会だより」というものがあります。「議会だより」は、「議会での議事」や「議員の活動」が記載されています。そして、「議会だより」の原稿自体も町会議員によって作成されています。

今日は、3月に行われた町議会に関しての「議会だより」に掲載するための原稿作成をしていました。

町民にはなかなか作成過程が見えない、いろいろな議員の仕事があるものです。


「ひな市」が開催されました。


1.本日の活動
今日の神流町は、午前は曇りで、午後から雨となりました。

最低気温は0.6度、最高気温は9.6度と低くなり、寒くなりました。

今日は、神流町で「ひな市」というお祭りが開催されたため、参加してきました。

2.「ひな市」について
「ひな市」というお祭りは、毎年3月31日に神流町で開催されています。

かつては、神流町の「万場地区」の道を車両侵入禁止にして、道路に出店がだされて開催されていましたが、現在では万場小学校の校庭で開催されるようになっています。

「ひな市」という名称は、かつて「ひな人形」を販売するお祭りであったことから由来しています。通常、ひな祭りは「3月3日」に行われますが、神流町では「4月3日~5日」に行われていました。そのため、大正3年から「3月31日」に「ひな市」が行われるようになりました。お祭りの名称は「ひな市」のままですが、現在では「ひな人形」を販売するお店は出店していません。現在の「ひな市」は、通常のお祭りと同様、飲食の出店が出ています。

神流町は、子供の数が少ない町ですが、今日は春休み中ということもあって、子供達の遊ぶ姿が多くみられました。

私は、群馬でお祭りのときの定番となっている「焼きまんじゅう」を買ってきました。

「焼きまんじゅう」は、群馬県民にとって「ソウルフード」とも言える食べ物で、群馬県民は全員しっています。群馬県で行われるお祭りのときには、必ずと言っていいほど販売されています。「焼きまんじゅう」という名称ですが、「あんこ」は入っていません。「蒸しパン」のようなものに、甘い味噌だれをつけて焼かれています。「まんじゅう」という先入観を持たずに食べることをお勧めします。

銀座にある群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」でも「焼きまんじゅう」を販売することがあるようなので、食べてみたい人はこちらを参照してみてください。(ネット販売もしているようです。)


大学に進学することは、「優秀」なのだろうか?


1.本日の活動
今日も神流町は、終日晴れて、暖かくなりました。

最低気温はマイナス0.6度、最高気温は15.2度となりました。

今日も、家で高校野球を見ながら、「町政報告会」の準備をしていました。

まだ資料は完成していません。

2.大学に進学することについて
今日は、「教育」について、少し考えてみたいと思います。

ここ最近言われている「東京一極集中」には、「東京に大学が集中している」こともかなり関連しています。地方には大学が少ないため、「大学進学のために上京する」というケースが多くあります。

これまでの高校教育では、「○○大学に何人合格した」という大学進学者数を競う傾向にありました。「高校教育=大学進学」とも言える状況にあったと思います。そのため、これまでの大学進学者数を重視した高校教育が、「東京一極集中」に加担したとも言えるのです。

私が高校生だったころ、まさに大学進学のための授業しか行われませんでした。進路指導というと、「どこの大学に行くのか?」「進学できる大学はどこなのか?」ということしか話をしなかった気がします。

「東京一極集中」の是正が求められている今日、高校教育のあり方も変えていくべきでしょう。もうすぐセンター試験が廃止され、大幅な教育改革が行われることになっています。ここでの教育改革は、これまでの「暗記重視」の教育から「考えるチカラ」を重視するものに変えていくとのことです。

私は、この教育改革の機会に「地域について学習する時間」を義務付けて欲しいと思っています。「地域について学習する」ということは、「地域への誇り」「地域への愛着」などを育み、地域に若者が残る、地域に戻ってくる可能性が高まると考えているからです。そして、これまでの「大学進学」に偏った教育を行うのではなく、「どういう生き方をしたいか」を学生に考えさせるべきだと思います。

現代社会では、「多様な生き方」が尊重されつつあります。かつてのように、「地方から東京に行って、有名な企業に就職する」という価値観は、「カッコ悪い」と思われるようにもなってきています。東京に行かず、東京に行ったとしても地方に戻って活躍する方が「カッコ良い」と思う人も出てきています。(私は、そのように思っています。)

「多様な生き方」が尊重される時代だからこそ、「地域について学び」「どういう生き方をしたいか」を考えさせることが重要だと私は思います。地域には、「多様な人」がいます。高校という建物の中には、同じ年代・似た属性の人間しか集まりません。高校の教師と話すといっても、教師の方々も学校という枠組みの中にしかいないので、多様な経験をしている人は少ないでしょう。そのため、私は、高校生にこそ、地域について学び、地域の「多様な人」と触れ合う機会を接することを通して、「生き方」について考えてほしいと思っています。

かつて「大学に進学した人は優秀」という価値観が蔓延していたように思いますが、私はそうは思いません。「自分で選んだ生き方をできた人」が「優秀」なのだと私は思っています。

こんなことを考えてみましたが、私がこのように思うようになったのも最近のことです。高校生には、ぜひとも「地域について学び」「生き方について考えてほしい」と思います。


町政報告会の準備。


今日の神流町は、終日晴れました。

最低気温はマイナス0.6度、最高気温は12度となりました。

今日は、高校野球を見ながら、来週行う「町政報告会」で使用する資料の準備をしていました。

神流町町民の方々に、「できるだけ分かりやすく伝えたい」と思っているので、できるだけ難しい言葉は使わずに、見て分かりやすいものを作りたいと思っています。

ただ、「分かりやすく伝える」ために、どういうストーリーで説明すべきか悩みます。

また、久しぶりにPowerPointを使って資料を作っているので、時間がかかっています。

「伝える」ことって、難しいです。


「町政を分かりやすく伝える」という責務。


1.本日の活動
今日の神流町は、午前中「晴れ」、午後から「雨」がパラパラと降りました。

最低気温はマイナス1.6度、最高気温は13度でした。

今日は、地元の「黒田(くろだ)」地区で挨拶回りをしていました。

「4月8日(土)」に、「第1回 町政報告会」を開催することにしたため、「黒田」地区の方々にその案内をして回りました。

2.町政を分かりやすく伝える
昨日のブログで議会には「執行部を監視する責務がある」という記述をしました。

議会には、それだけでなく「住民に対して、政治を分かりやすく伝える」という責務もあると私は思っています。

私は、神流町議会議員です。

そのため、神流町の町民の方々に「神流町町政をできるだけ分かりやすく伝える」という責務があると考えています。

その責務を果たすため、「町政報告会」を開催します。

といっても、初めて行うことなので、資料の作成はこれからです。

参加していただいた方々には、「神流町の状況・今後の動向」、そして、「神流町の平成29年度予算」について説明を行おうと思っています。ただ、私からの一方的な説明だけではなく、質疑にお答えし、困っていることのご相談も受け付ける場にしていこうと思っています。

町会議員には、「議員報酬」が支払われています。議会が開催されない月も「議員報酬」が支払われます。私は「議員報酬」が支払われる意味を、「議会以外にも活動させる」ためだと思っています。「議員報酬」をもらっているからには、報酬に見合った活動を行っていこうと思います。
(なお、神流町に「政務活動費」は、ありません。)


「執行部を監視する」という責務。


1.本日の活動

今日も神流町では、朝に雪が降りました。その後、雨となり、午後から晴れました。

最低気温はマイナス0.1度、最高気温は8.7度でした。

今日は、高崎市に挨拶周りに行ってきました。今日も少し遅い挨拶周りです。

2.議会には、「執行部を監視する」という責務がある
地方自治では、「首長」をはじめとした「執行部」と「住民の代表である議員」による「議会」の「2元代表制」となっています。

「執行部」と「議会」は、「車の両輪」にたとえられ、地方自治を円滑に進めていくためには、「執行部」と「議会」が協力することが必須とされています。

ただ、「議会」の役割には、「執行部を監視」するというものもあります。そのため、「執行部」と「議会」は、「近すぎず、遠すぎず」、適度な緊張関係が必要です。

「議会」が「執行部」と全て意見が同じで全て「賛成」であれば、「執行部の監視」という役割は果たせません。全て「賛成」であれば、「議会」は不要となるのです。そのため、「議会」には、「野党」の立場となる議員を入れて、「執行部」を「批判的」な視点から見ることも、地方自治を誤った方向に向かわせないために必要なことだと私は思っています。「野党」が一人もいない「議会」は、健全な議会と言えないと思います。

「議会」では、「賛成」と「反対」双方の観点から十分な議論が行われる必要があると考えます。そのような議論が行われた結果の採決には、「議会」にも「承認した責務」があるのです。

「住民の代表」であるからこそ、「執行部のYESマン」にならないようにすることが重要だと私は思っています。「住民の声」を議会に届け、「住民の視点から執行部を監視」する。それが、議員としての「最低限の職務」だと私は思っています。


双切祭りに参加。


今日の神流町は、終日悪天候となりました。

朝は雪が降り、9時過ぎころから雨となりましたが、その後はずっと雨が降り続けました。

最低気温は0.3度、最高気温は4.4度でした。

今日は、神流町尾附(おづく)の「双切(そうぎり)」地区で行われた「双切祭り」に参加してきました。

「双切祭り」は、「双切」地区にある「双切天神」を祀るお祭りで、毎年3月の最終日曜日に行われています。「双切天神」には、菅原道真が祀られており、「学業向上」「政経安定」「健康安全」を祈願する神社です。

「双切天神」の氏子は、現在3軒まで減ってしまいましたが、氏子の方々だけでなく、周辺地域の方々と協力してお祭りが続けられています。神社への奉納だけでなく、みんなで食事をしたりしていました。

今日は悪天候でしたが、たくさんの方がお祭りに参加していました。

こういう地域の伝統、文化を残していくことは大変なことですが、続けていきたいものです。

「双切天神」の場所は、以下を参照願います。


上野村シンポジウムに参加。


今日も神流町は、終日晴れました。

最低気温はマイナス1.7度、最高気温は9.9度となりました。

今日は、神流町の隣にある上野村に行き、シンポジウムに参加してきました。

このシンポジウムは、今日と明日2日間で開催されるのですが、本日のみ参加してきました。

上野村には、内山節(うちやまたかし)先生という哲学者がいて、その方と上野村が共同で今回のようなシンポジウムを開催しています。シンポジウムは、今年で9回目とのことです。

今日は、「里山資本主義」で取り上げられている「岡山県真庭市」における地域づくりの取り組みについて講演が行われたため、私の活動にとっても参考になればと思って参加してきました。

講演は、澁澤寿一(しぶさわじゅいち)先生という方によって行われましたが、講演の中で私にとって印象に残った言葉は、「田舎で暮らす際、特定の職業を生業とするのではなく、小さな仕事をたくさん行うことが近年の移住者の主流になっている」ということです。

かつての日本(明治以前)では、「農村社会」が主流でした。「農村社会」の場合、農業だけに従事するのではなく、籠を編んだり、薪を作ったり、炭を作ったりと小さな仕事を複数行って生活していました。小さな仕事を複数行うことで、作物が不作になったりしたときのリスク軽減をしていたのです。そして、昔の人は、「仕事」として取り組んでいたのではなく、「生活」として取り組んでいました。

昔の日本は、上記のような生活でしたが、昭和以降になって、「職」と「生活」が分離するようになっていきます。農業も「生活」ではなく、「職」として行うようになりました。働き方が、皆「サラリーマン化」してしまったのです。

しかし、近年では、若者が地方に移住する際、「農業」や「林業」を仕事にしたいというのではなく「農村的暮らしをしたい」という理由で来る人が多いようです。その「農村的暮らし」とは、かつての日本で行われていた小さな仕事を複数行うような生活なのです。

今日の講演は、私のこれまでの「働き方」感とは、まったく異なるものでした。確かに、そのような生き方もあるのだなということがわかり、参考になりました。

「里山資本主義」は、2年前に読みましたが、また読み返してみようと思います。


少し遅い挨拶周り。


今日も神流町は、終日晴れました。

最低気温はマイナス1.5度、最高気温は9.9度となりました。

今日は、神流町の町外へ、挨拶周りに行ってきました。

本来、もっと早くやるべきだったのですが、ゆっくりとしていたら選挙から1か月もたっての挨拶になってしまいました。今後は、もっと速やかに行うよう気を付けないといけません。

 


小学校卒業式に参加。


今日の神流町は、午前中曇り、午後から晴れました。

最低気温はマイナス2度、最高気温は12度でした。

今日は午前中に地元小学校の卒業式に参加し、夜には地元地区の総会に参加しました。

今年の小学校の卒業生は、平成16年~17年に生まれた方々です。

平成16年~17年のころ、私は社会人3年目になり、いろいろなところへ出張に行かせてもらい、出張先でいろいろな「試練」に直面したことを思い出しました。

早いもので、あれから12年が経ちました。

小学校の体育館は、平成29年度に建て替えることが決まっているため、今の体育館で行う最後の卒業式です。現在の体育館は、私が小学校・中学校のころも使っていたので、非常に思い出があります。(私が子供のころは、旧中里村との合併前だったので、今の小学校の体育館を中学校と合同で利用していました。)

小学校の校歌は、私が小学生のころと変わっていませんでした。

下の写真は、小学校体育館の壁にある校歌のパネルです。

小学生たちは人数が少ないながらも、力強い声を出して元気いっぱいに歌っていました。少人数教育の成果だと思います。

卒業生には、中学生になってからも頑張ってほしいものです。