月別アーカイブ: 2017年1月

後援会看板の設置


1.本日の活動
今日の神流町は終日寒くなりました。

昨晩少し雪が降り、朝の時点では1cmくらい雪が積もっていました。

それでも、今日も「朝のつじ立ち」と「演説」は、続けました。

今日は、上記のように、1日通して寒くなり天候もよくなかったので、家で伝票整理をしていました。

会社員時代には、伝票整理などまったく不要だったので、私にとっては苦手な作業です。
(以前勤務していた会社では、出張経費は全て会社指定のクレジットカード支払いによる「実費精算」で、領収書は「タクシー」などを使う場合を除き、ほとんど提出不要でした。「タクシー」の使用も、特別な事情を除き基本的に認められておらず、ほとんど使っていませんでした。今、振り返るとかなり合理的な仕組みだったと思います。)

今日、あらためて実感したのは、「領収書は貯めない」ということです。領収書をもらったら、すぐに整理するようにしないと効率と事務処理上の正確性が担保できません。後で整理しようとすると、領収書をどこにしまったか分からなくなり、探す時間がかかってしまいます。「領収書を貯めない」というのは、私の場合、分かっていてもなかなか実践できません。こういうことをしっかりしないと駄目ですね。反省しています。

2.後援会看板の設置
今日、私の後援会の看板が届いたので、設置しました。

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看板は、選挙期間に関わらず、所管の自治体の選挙管理委員会に届出をすれば設置することが可能です。そして、「政治家本人分」と「政治団体分(後援会など)」それぞれを設置枚数の制限が分かれています。(私の場合、神流町の選挙管理委員会が所管なので、神流町の選管に届出を提出しました。)

看板の大きさは、「縦150cm以内、横40cm以内」と公職選挙法で決まっています。
(看板の大きさや設置枚数等の規定の詳細については、「公職選挙法143条」を参照してください。ただ、かなり難解です。岡山市の「選挙に関する説明ページ」は、かなり分かりやすいです。)

自治体ごとに看板の設置に関する手続きが異なるので、看板の設置について、まず所管の選挙管理委員会に必ず確認するようにしましょう。

「政治家本人分(政治家本人の事務所)」と「政治団体分(後援会事務所など)」それぞれに看板を設置することができるので、まず「私の事務所の看板」を設置してもよかったのですが、私は「後援会があるので、お気軽にどうぞ」というメッセージを伝えたくて、「自分の事務所」よりも先に「後援会の看板」を作成・設置しました。

デザインは、「のぼり」「タスキ」と同じく「ピンク」をベースに作成しています。この看板も私自身でデザインしました。

自治体によっては「政治家」や「後援会」の看板が乱立して、「景観を損ねる」という意見もあるようですが、神流町の場合設置している人が少なく、私もできるだけ景観を損ねないよう配慮し「政治活動の普及」を考え設置することにしました。

政治活動には、いろいろと準備する備品がありますね。


タスキ、のぼりが完成。


1.本日の活動
今日の朝の神流町は、かなり寒くなりました。

それでも、今日も「朝のつじ立ち」と「演説」を継続しました。

今日は、「麻生(あそう)」地区に挨拶周りに行ってきました。「麻生」地区の方々からも、「頑張ってるね」という暖かい言葉をいただき、期待されていることを実感しました。

2.タスキ、のぼり
「タスキ」と「のぼり」が完成しました。

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タスキ

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のぼり

初めて私自身でデザインをしたものです。

ベースとなる色は、「女性でも親しみやすく」「暖かい感じがする」と思って、「ピンク」にしてみました。できるだけ「名前」が印象に残るように、シンプルにしました。

また、昨年、某「元ジャーナリスト」の方が、東京都知事選挙に出馬した際、「ピンク色のタスキ」「ピンクのポスター」などを使っていたので、そのときから「ピンクはいいかも」と思ってました。その影響も受けています。

上記は私の意見ですが、「客観的な評価」が重要なので、一応作成するにあたって関係者の意見を聞き「客観的にどう思うか」取り込んで作りました。「主観」だけだと危険なので、必ず「客観」的な評価を聞くことが重要だと思っています。

徐々に備品がそろってきました。


神流町町会議員選挙立候補予定者説明会


1.本日の活動
今日も朝は寒くなりましたが、「朝のつじ立ち」と「演説」は継続して行いました。

今日は、「魚尾(よのお)」「伝田郷(でんだごう)」「高八木(こうやぎ)」「青梨(あおなし)」地区に挨拶に伺いました。

どこの地区の方々も、とても好意的に挨拶をしていただけました。

とてもありがたいことです。

2.立候補予定者説明会
今日は、2月に実施される神流町町会議員選挙(2月14日告示、19日投開票、定数8名)の「立候補予定者説明会」が開催されました。

参加したのは、「8陣営」。

この「立候補予定者説明会」は、「参加必須」ではなく、あくまでも「任意」です。

説明会に参加せず、資料だけを受け取り、告示に届出することも可能です。

以上です。

 


誰かが「行動」を見てくれているもの。


1.本日の活動
今日も「朝のつじ立ち」と「演説」を行いました。

演説は、初めて「森戸(もりど)」地区で行ったのですが、聴衆は全くいませんでした。

今日は、「神ヶ原(かがはら)」地区と「魚尾(よのお)」地区に挨拶周りにも行ってきました。

「魚尾」地区は、神流町の中でも最も家の数の多い地区なので、今日一日でかなり歩きました。正直、疲れたです。

2.今日感じたこと
2.1 朝のつじ立ちに対して
今日、「魚尾」地区で挨拶周りをしていたときに、「朝に、立っている人だよね」と言ってくれる方がいました。

私は、「自分には、それくらいしかできないので。たいしたことはやっていませんよ。」と返答したところ、「朝立つだけであっても、その行動を続けている姿を見るだけで『信頼出来る人』だと感じさせてくれる。とてもいい行動だと思う」と言ってくれました。

私が行っていることは、朝、道路わきに立ち、行きかう車に挨拶をしているだけです。私としては、少しでも神流町の方々に挨拶したい、そういう思いから始めた活動でした。

それを見ていた方がいて、一見すると「馬鹿」に見えるような活動であっても、その活動から「信頼」を感じてくれる人がいることが分かりました。

活動すれば、必ず誰かが見ていてくれるものですね。

 

2.2 私が神流町に戻ったことに対して
また、同じ「魚尾」地区では、「神流町に戻ってきてくれて、ありがたい」という言葉もいただけました。

私としては、東京で勤めた会社を辞めて「神流町に戻る」ということは、「自分のやりたかったこと」「自分にとってやるべきこと」をやったまででした。それでも、「神流町に戻る」という行動を起こしただけで、感謝してくれる人がいました。

神流町は、超高齢化の町で、35~39歳の年齢の人は全体の3%弱しかいません。(2015年の国勢調査より)

そのため、30代の人が町に戻ってくるだけで「ありがたい」と感謝されます。

私は、神流町に戻ってきて、まだ町のために何かしたわけではありませんが、こうして感謝していただけると戻ってきて意味があったことを少し感じます。私の「神流町に戻る」という行動を評価してくれる人がいるのです。

3.それでも...
と、今日は「良いこと」があったのですが、私は神流町に戻ってきただけで、神流町のために何か行動したわけではありません。私の行動・活動を見てくれる人たちのためにも、神流町に恩返しできるよう、しっかりと行動していこうとあらためて思いました。


宿題をやっていませんでした。


今日から「朝のつじ立ち」を再開しました。演説もいつも通り行いました。

今日の朝は、とても寒くなり、立っているのがつらかったです。

今日の朝は、昨日の雪の影響で、神流町の道路の路面は凍結していて、通勤で通行する方々は、皆さんゆっくりと注意しながら運転していました。路面凍結時は、本当に危険なので、あなどってはいけません。

今日から神流町の小・中学校では、3学期が始まったため、朝にスクールバスで通学する子供達の姿が見れました。

私が子供のときは、冬休み・夏休みといった長い休みが好きでしたが、長い休みが終わって新学期の始まりのときに学校に向かうのが苦痛でした。なぜなら、宿題をやっていなかったからです。子供のときの私は、「宿題をやらなくてはいけない」と分かっていながらも、宿題をやりませんでした。いつも、新学期が始まったときに、全部の宿題を期限通りに提出できたことはほとんどなかったと思います。ダメな子供でした。

今日の子供達の通学する姿を見ながら、そんなことを思い出しました。果たして、神流町の子供達はしっかりと宿題をやったのでしょうか?

子供のときには「宿題をやる」ということの重要性を認識していませんでした。大人になってみて、「宿題をやる=期限を守って、自分に与えられた課題をこなす」ということだと分かり、「期限通りにやらなければ、信頼を失う」ということを身をもって感じました。宿題を行って、「勉強ができるようになるかどうか」よりも、「宿題を行う」という行動自体が重要であり、「行動を継続できるようにならなければいけない、自分に課された課題に取り組まなければ信頼を失う」ことを学ばせたかったんだなと、今更ながら私は感じています。

子供のころを振り返り、「こういう意味だったんだな」と今になって意味が分かることがあります。

今日はそんなことを考えました。


「共助」の重要性。


昨晩の雪の影響で、今日の朝は、「雪かき」から始まりました。

積もった雪の量は、10センチ程度だったので、まだ少ない方でした。

「雪かき」から1日が始まり、「つじ立ち」を行う時間も「雪かき」をしていました。そのため、今日の朝は、「つじ立ち」をしませんでした。(演説は、まだ続けています。)

「つじ立ち」の連続実施は途絶えてしまいましたが、また明日から再開しようと思います。

 

今日、「雪かき」を行う中で、「『共助』の重要性」を感じました。

神流町は、人口が少なく、高齢化率が高い(人口に占める高齢者の割合が高い)町です。

そのため、昨晩のような雪が降ると、ご老人のみの家の雪は、住んでいる人だけで雪かきをすることが難しいです。そこで、神流町の中でも比較的年齢の若い動ける人間が、自分の家だけでなく、周辺の雪かきも行います。特に頼まれたわけでもなく、それが「当たり前」となっています。

田舎では、このような地域で互いに助け合う「共助」が当たり前となっています。

「雪かき」だけではありません。お葬式など冠婚葬祭のとき、消防団、お祭りなども地域で手伝い合いながら実施しています。

「助け合う」ことが「当たり前」であり、それが「ルール」となっています。その「ルール」は、特に文章化されたものではなく、長い年月をかけて自然に決められてきたものです。

ただ、私が中学生のころは、今ほど高齢化が進んでおらず、もう少し動ける人間が町にいたため、今日のような「雪かき」を家から遠いところまで行う必要はありませんでした。

現在の神流町では、人口減少と高齢化が進んだため、昔よりも一人当たりが実施する「雪かき」の範囲が昔よりも広くなりました。一人当たりの負担が増えたのです。

一人当たりの負担は増えていますが、地域のつながりが密接な「共助」の生活が、私には楽しく思えています。

東京で生活していたときにも、雪が降るときがありました。東京で雪が降る機会は、少ないのですが、雪が降る状況に慣れていない人が多いため、ひとたび雪が降ると混乱します。そして、昔から東京に住み続けている人は雪かきを行っていましたが、私や他から引っ越してきた人が雪かきをする姿はほぼ見られませんでした。東京では「共助」の意識が低いのです。東京では、「インフラが整っている」「行政サービス(公助)も充実している」ことから、「共助」の必要性が低いのかもしれません。もしくは、「自分自身のチカラ(自助)だけで大丈夫」という自信のある人が多いのかもしれません。

また、東京で生活していたときに聞いた言葉は、「田舎だと地域での付き合いが多く、面倒。東京なら近所付き合いが少なく、面倒でない」ということです。人それぞれ考え方の違いがあるので、そのような考え方の人がいても否定することはできません。ただ、私が思うのは、「人間、自分のチカラだけで生きていこうとするのは難しい」ということです。皆、誰かに助けられて生きていると思います。地域とは限りませんが、何かしらのコミュニティに属し、助け合って生活していると思います。

「近所付き合いが面倒」という人は、年齢を重ねたときに、どうするのだろう?と私は思います。今は、若くて自分で出来ることが多く、地域の人にお世話になることが少ないかもしれませんが、年齢を重ねたとき、自分で出来ることが徐々に少なくなってきます。そのとき、お世話になるのは、親族だけで大丈夫なのでしょうか?私は、そこを疑問に思います。

そこで私は、都市部の人にも「『共助』の大切さ」をあらためて考えてほしいと思っています。

 

という偉そうなことを書きましたが、今日は久しぶりに行った「雪かき」の影響で、私は腰が張ってしまいました。明日は、腰の筋肉痛に悩まされそうです。明日の朝が心配になりました。

 


「無理をしない」ことと「続ける」ことのバランス。


今日の神流町は、とても寒くなりました。

最高気温は、3.5度までしか上がりませんでした。

それでも、朝のつじ立ちと演説は続けました。

 

今日は、朝の天気予報を見た時点で、夕方から「雪」との予報でした。そのため、神流町でも山間の地域は、雪が降ったあと通行が難しくなるので、その前に挨拶周りをしてこようと山間の地域中心に挨拶周りをしてきました。

天気予報はあたるもので、15時頃から雪が降ってきました。挨拶周りは、今日予定していた地区の一部を残してしまいましたが、あまり遅い時間になると道路状況が雪で危険になあることから途中で切り上げてきました。

活動を続けるためには、「無理をしない」ことも重要です。

「選挙活動期間」までに体調を崩したりしたら、「選挙活動期間」にしっかりとした活動を行うことができません。しっかりとした活動ができなければ、町の人たちからの「信用」を得ることは難しいでしょう。

そのため、「選挙活動」が始まるまで、無理をせず、体調を維持することも重要だと自分自身に言い続けています。

だけど、寒い中でも「朝のつじ立ち」を私は続けています。寒い中で立ち続けることは、体調を維持するためには悪影響を与えかねません。でも「朝のつじ立ち」を続けることは、「自信」につながり、町の人たちにとっても「信用」を与えることにつながっていると思っているので、私は「朝のつじ立ち」を続けています。

「矛盾」したことを言っていると自分でも思います。

ただ、私は、「無理をしない」ことと、「やり続けること」のバランスをとって考える必要があると思っています。

「無理をし過ぎない」ように、適度に「やり続ける」。これが必要だと思います。

 

このように偉そうに記述させてもらいましたが、15時から降り始めた雪が、今でも降り続いているため、明日の朝は「つじ立ち」を行うことが難しそうです(21時時点で、神流町には「大雪」「着雪」注意報が出ています)。明日は、「朝のつじ立ち」よりも「雪かき」の方が重要な状況におそらくなりそうです。また、仮に「つじ立ち」を雪が積もった中で行ったとしても、車が通らなかったら意味がありません。神流町では若者が少ないので、「つじ立ち」をするよりも、「雪かき」を行う労働力の方が重要なのです。

明日の朝、「つじ立ち」を行うか考えてみます。


神流町町会議員選挙までのスケジュール


今日も朝のつじ立ちと演説を行いました。

今日の神流町は、特に寒かったので、朝のつじ立ちが辛かったです。

こんな寒いときでも、仕事に向かう方々がいるので、私はいつものようにあいさつを行いました。

 

ところで、今年の2月には、神流町にて町会議員選挙が行われます。
(詳細は、神流町役場のHPを参照。)

日程は、以下のようになっています。

①1月12日(木) 立候補予定者説明会
②?       資料確認(日程はまだ未定)
③2月14日(火) 告示
④2月14日(火)~18日(土) 選挙運動期間
⑤2月19日(日) 投票・開票

通常の選挙では、上記のスケジュールのように、告示前に「①立候補予定者説明会」というものが行われます。

選挙におけるスケジュールと手続きについて、以下に簡単に記載します。

説明会では、告示の際に提出する資料や選挙活動における注意事項等が説明されます。

この説明会への参加は任意です。そのため、立候補予定者説明会に参加しないで立候補してもかまいません。(説明会に参加するのは、候補者本人でなくてもかまいません。そのため、代理人が参加することも可能です。)
※2月5日(日)告示の前橋市議会議員選挙では、すでに立候補予定者説明会が行われたそうです。

次に、「②資料確認」というものが行われます(「予備的審査」などいろいろな呼び方があるようです)。これは、立候補予定者の告示の際に提出する資料について、記載等に問題がないか選挙管理委員会に確認していただくというイベントです。なぜ、このようなイベントがあるのか?それは、告示のときに提出した資料に、記載ミス等の不備があった場合、その候補者の選挙活動の開始が遅くなってしまうからです。そのようなことが起こらないようにするために、「②資料確認」というイベントがあるのです。このイベントも参加は「任意」です。資料に自身がある場合は、参加しなくてもかまいません。
また、立候補の届出の際に提出する資料は、「候補者本人」が提出する場合と「代理人(推薦人)」が提出する場合で種類が異なります。

そして、重要なのが「③告示」です。立候補の届出は、告示の日の「午前8時30分~17時まで」しか受け付けてくれません。「17時」を過ぎたらダメなのです。立候補の届出は、郵送で行うことができず、持参して提出しなければいけません。提出先は、選挙管理委員会ではなく「選挙長」です。

立候補の届出が受理されたら、「④選挙運動期間」が開始されます。町村長選挙・町村議会の議員選挙の場合、選挙運動期間は「5日間」と公職選挙法により決められています。
届出が受理され次第、掲示板のポスターの番号が決まるので、選挙運動用ポスターを貼りだしてかまいません。
選挙運動期間の間だけ、8時~20時のあいだに街頭演説を行うことが認められます。街頭演説でなければ(例えば、握手するとか、駅頭で拡声器を使わずに挨拶するとか)、選挙運動期間の8時~20時以外の時間に活動を行っても大丈夫です。
あと、町村議員選挙の場合、「選挙運動用ビラ」を配布することはできません。

最後に、「⑤投票・開票」となります。投票日と開票日が異なる自治体もあったりします。

以上が簡単なスケジュールと手続きの説明です。

ただ、選挙には「公職選挙法」という難解な法律と「地域ごとのルール」があったりするので注意が必要です。


おかしな光景。


今日も神流町は、晴れました。

今日もいつものように、朝のつじ立ちと演説を行いました。

年が明けてから、神流町では日に日に朝の車の通行量が増えているように感じます。

今日は、神流町でも奥にある地区に挨拶に伺ってきました。

挨拶に伺うと、去年も挨拶に伺ったことを覚えてくれている方もいて、挨拶周りも無駄では無かったと思えました。

 

ところで、昨年12月19日から朝のつじ立ちを行っていますが、今日の朝は、私のことを「初めてみる」ように車の中から見つめる人が多かったように感じました。

たぶん、他地区から来ている建設作業の方々だと思いますが、山奥に来て、「必勝」というハチマキをし、「二男です。」というタスキを巻いた人が朝から道の傍らに立っている光景がおかしかったのでしょう。

私もこうしてブログを自分で書きながら、今頃になって「朝のつじ立ち」が「おかしな光景」になっていることの自覚をしてきました。

ただ、一見「おかしな光景」に見えたとしても、中には「頑張っている」と好意的にとらえてくれる人もいます。

好意的にとらえてくれる人たちは、私が作り出している「おかしな光景」を見ても、「頑張ってください」という声援をくれたり、おじぎをしてくれたりします。

こういう好意的にとらえてくれる人がいる限り、実施する意味はあると思っています。

そのため、私は「おかしな光景」だと思われても、「続ける」のです。

こう考えながら、明日も活動したいと思います。


何かを変えるのは難しいもの。


今日も朝のつじ立ちと演説を行いました。

今日は、1月5日。

神流町では、今日から仕事初めの方も多いようで、昨日よりも朝の車の通行量が多くなりました。

 

ところで、私が東京での仕事を辞めて、神流町に戻ってきた理由、それは「神流町をもっと住みやすく、神流町自体をもっと活気のある町にする」ためです。

そのために、私は仕事を辞めて神流町に戻ってきました。

神流町の現在の人口は、約2,000人。

1990年には、旧万場町と旧中里村の人口を合わせて4,159人いました。
(神流町は、2003年に旧万場町と旧中里村が合併してできた町であるため、旧万場町と旧中里村の人口を合計して算出しています。)

26年間で人口が2,000人以上減少しています。

人口が数十万人の自治体であれば、2,000人減ったとしてもあまり街並みは変わらないかもしれません。

しかし、4,000人の町が2,000人になるというのは、人口が「半分」になってしまったということなので、その影響はかなり大きいです。

私が中学生のころ、子ども達が遊ぶときは、自転車で移動するのが当たり前でした。

それが今では、子ども自体の数が減少し、子ども達が自転車で移動する姿を見かけることはほとんど無くなりました。(私が神流町に戻って来て2か月が経過しましたが、自転車に乗る子供を見たのは3回のみです。)

神流町では、「人口減少」が合併前からずっと問題になっていました。

国の言う「出生率低下」による「人口減少」ではなく、神流町の場合、「人口流出」による「人口減少」が重要な問題です。

このままいけば、確実に20年前後で神流町は無くなるでしょう。

この「人口減少」という状況を打開するために、神流町は「大きな変化」をすることが私は必要だと思っています。

ここまでの私の記述は「正論」のように見えると思います。

でも、「大きな変化」を起こすということは、「総論」では「賛成」であっても「各論」では「反対」に合うものです。

ようするに、「自分に関係ないことは賛成だけど、自分の身の回りが変わることは反対だ」という意見が出てきます。

「正しい」ことをやろうとしても、「賛成」してもらえるとは限らないのです。

「個別最適」を求める人が、「全体最適」に反対するのです。

これは神流町だけでなく、どんな自治体でも、企業でも、ちょっとした集団であっても、必ず起こることでしょう。

人間というものは「変化」に対して「恐怖」を感じやすいと思うので、「反対意見」が出るのは当たり前だと私は思っています。

ただ、私は、「反対意見」があったとしても、そこであきらめません。「反対意見」の人でも、話し合えば、お互いに妥協点がみいだせ、よりよい解決策につながる可能性があります。

私が東京で聞いた「政治とは『合意形成』である」という言葉。「合意形成」を行うことは難しいことですが、しぶとく話し合いを行って、「合意」できるように取り組みたいと思います。

「頑固」だけが私の取柄なので。